行ってしまった君へ

最愛の妻が逝ってしましました。 逝ってしまうまでのびっくりする1年間の出来事、 それと妻の人間性、自分の趣味オーディオやペットの今などを綴ってみます

H31.1.1

0時頃。手先など冷たいので、コンビニで買った手袋の指先を切ってはめ、優子さんからもらったソックスを試してみる。

0:20頃看護婦にオプソの早送りの依頼をしたら、,{ありがとう!」 「オーコン(エアコン)を…」ろれつが回らない。O2は89%119拍。1:40。意識が薄らぐのはO2のせいか?手を握れる状態でない!こんなのは初めて。2時。O2 85〜81%。血圧108/39? 血圧が測りづらい。しばらく横になり、改めて見ると心拍数が70台!看護師が飛び込んで来て声かける。しかし、だんだんとうつろで意識が遠のく。薫の目に涙一滴ともる。恵里と良平くんを呼び出す。2:30心拍数0。その後、恵里と良平、優子さん到着。船本先生による死亡確認2:58。

 

遺体を整え着替え、医大霊安室に安置(4時頃)、1003号室に帰宅(10時頃)、葬儀社と打合せ通夜・告別式の日程調整、同志社友人・野村京子さん宅訪問・連絡(昼頃)、地蔵院住職による枕経(16時頃)

野村さんと会って、初めて慟哭しすぐに伝えられなかった。同級生がこんなのどかなのに、見た目若々しい薫がなぜこんなことに!!

 

H30.12.31

手を繋ぎ眠る。朝7:20、 14L 90% 134拍。8時りんご4さじ。顔が土気色。8時半「シーツ替え嫌やー」。13:10目がうつろ。少し頭が朦朧としているかもしれない。昨日と違い今日は照明を切るなと首を振る。15L 89% 133拍 

13:30恵里と自分に向かって、「よくやってくれた!ありがとう!」とはっきり言う。普通だったら叫ぶくらいの力強い声か。自分は涙ぐみ「こっちがありがとうや」と言うのが精いっぱい。

レントゲン撮影の上、中村先生の診断。抗がん剤で肺の影は良くなっている。ただ、O2の数字が改善してないのは炎症反応などから、カリニ肺炎が考えられる。抗生物質を投与する。家に帰ることも理論上まったく無いという訳ではないと言う。

恵里が疑問に思っている鎮静剤の説明をしてくれた。恵里納得の様子。

血圧の低い方がうまく計れないと看護師さんが不思議がる。

今日も良平君と優子さんが見舞いに。帰ったのは夜11時くらいか。

H30.12.30

良平君、優子さんが見舞いに。

朝ふとんをかけるとトントンと叩くので、手を握る。11L 94 124拍。 オプソに変えて「まあまあ」という。優子さんの音楽の話に、「手を握れとジャスチャー」、了解ですと、じっと手を握る。1日中、電気をつけない方が落ち着くようだ。

今日は氷も要らない。ただ、優子さんのすりリンゴ2さじ。

10:16胸痛い。O2 11L 87% 127拍。早送り4回。オプソ2.6→3cc/h。ただ、O2は85%程度。12L 130拍。今日は氷も要らない。17時、36.6度。圧117〜60。モルヒネでボッとしているのかも?19:10変な咳。77% 130拍。15L。

H30.12.29

オキファスト点滴1.4→1.7ml/h オプソ(モルヒネ系)に変更2ml/h。

9時の数値。36.7度C。血圧115/69。O2 10→9L。 96% 113拍。

口にしたのは朝、氷5さじのみ。

良平、恵里のいる前で船本先生に「行きたい!行きたい!何とかして!」

握る手に握り返す力なく。。。