H31.1.4 告別式
同級生仲間で一番きれいで若々しいのが薫。なみだ。
H31.1.3 通夜
BGMにキャロルキッドをかけて送る、10:30ライフガーデンへ、11:00〜湯灌納棺で洗ってもらい薄化粧、綺麗・生きているよう、17:00お通夜、19:00三郎さん・良平・優子・恵里と木曽路で食事
H31.1.2 帰宅
家の新しいベッドでゆっくり眠る。
ふれ食・高井さん連絡、中野Jazz教室連絡、岐阜の親戚関係に連絡
H31.1.1
0時頃。手先など冷たいので、コンビニで買った手袋の指先を切ってはめ、優子さんからもらったソックスを試してみる。
0:20頃看護婦にオプソの早送りの依頼をしたら、,{ありがとう!」 「オーコン(エアコン)を…」ろれつが回らない。O2は89%119拍。1:40。意識が薄らぐのはO2のせいか?手を握れる状態でない!こんなのは初めて。2時。O2 85〜81%。血圧108/39? 血圧が測りづらい。しばらく横になり、改めて見ると心拍数が70台!看護師が飛び込んで来て声かける。しかし、だんだんとうつろで意識が遠のく。薫の目に涙一滴ともる。恵里と良平くんを呼び出す。2:30心拍数0。その後、恵里と良平、優子さん到着。船本先生による死亡確認2:58。
遺体を整え着替え、医大霊安室に安置(4時頃)、1003号室に帰宅(10時頃)、葬儀社と打合せ通夜・告別式の日程調整、同志社友人・野村京子さん宅訪問・連絡(昼頃)、地蔵院住職による枕経(16時頃)
野村さんと会って、初めて慟哭しすぐに伝えられなかった。同級生がこんなのどかなのに、見た目若々しい薫がなぜこんなことに!!
H30.12.31
手を繋ぎ眠る。朝7:20、 14L 90% 134拍。8時りんご4さじ。顔が土気色。8時半「シーツ替え嫌やー」。13:10目がうつろ。少し頭が朦朧としているかもしれない。昨日と違い今日は照明を切るなと首を振る。15L 89% 133拍
13:30恵里と自分に向かって、「よくやってくれた!ありがとう!」とはっきり言う。普通だったら叫ぶくらいの力強い声か。自分は涙ぐみ「こっちがありがとうや」と言うのが精いっぱい。
レントゲン撮影の上、中村先生の診断。抗がん剤で肺の影は良くなっている。ただ、O2の数字が改善してないのは炎症反応などから、カリニ肺炎が考えられる。抗生物質を投与する。家に帰ることも理論上まったく無いという訳ではないと言う。
恵里が疑問に思っている鎮静剤の説明をしてくれた。恵里納得の様子。
血圧の低い方がうまく計れないと看護師さんが不思議がる。
今日も良平君と優子さんが見舞いに。帰ったのは夜11時くらいか。