行ってしまった君へ

最愛の妻が逝ってしましました。 逝ってしまうまでのびっくりする1年間の出来事、 それと妻の人間性、自分の趣味オーディオやペットの今などを綴ってみます

H30.12.18~20 簡易トイレから尿器へ、マスクとリザーバーの使用

18日

本人の酸素濃度は正常になっているものの、心拍数が100を超えている。後から思うと心臓もだいぶ病んで力なくなっていたのか。この心拍数だと本当にきつそう。緩和ケアチームで痛みが和らぐのではと勧めると、分かったと言い、早速スタートしてもらった。ベッドをにじりあがるのもきつい。簡易トイレにも立てないので、おまるのような尿器を使用することに。ただ、うまく尿が出ないようだ。

家に帰ると薫と一番仲の良い猫のチロちゃんがお母さんが居ないと心配いっぱい。チロちゃんにテレパシーでお母さんがたいへんなんだと伝える。お前も元気でねとモンプチ缶をあげるといっぱい食べてくれた。この子は賢いのでテレパシーで言いたいことが伝わっている。

 

19日

前夜、尋常でない息苦しさで酸素濃度が上がったため、管で鼻から酸素補給する方式からマスクに切り替わる。

座薬で5日ぶりに大が出る。大をする時も苦しいし、小もなぜか苦痛みたい。中村先生との会話で「ここに来てからずっと耐え忍んでいる」

21日に抗がん剤の点滴をする方針になった。肺に対する治療を行うということで、自分としては期待がありよかったと思った。次の目標は正月を家で迎えること。

家に帰るとチロちゃんがおおきなうんこ。

 

20日

朝起きると死ぬほど息苦しい。鎮痛のための麻薬をモルヒネ系のオプソに替えたせい?薬の効果が切れた時、地獄の苦しみという。酸素濃度がさらに高く必要になり、マスクにはリザーバーの袋を付けるようになっていた。朝食は食べれず野菜ジュースのみ。昼は少し食べたようだが、夕食は果物のみ。

抗がん剤治療のため体重測定が必要だが苦痛としんどさでそれもできない。薫は中村先生と直接話したいと言い、先生と話す。薫は抗がん剤の効果と苦しさを気にしていたようだ。話し合いの結果、抗がん剤をしようという結論を出してくれた。

中村先生に薫の居ない所で突っ込んだことを聞く。抗がん剤が効く確率(ガンが縮小)は一般的に1/3。平均の余命延長は3ヶ月。ただし、数年以上効果のある場合もある。3剤を3〜4週間間隔で4サイクル点滴する。また、3ヶ月後に1剤で4サイクル点滴する。これを繰り返す。もし抗がん剤治療をしない場合は、ステロイドで緩和ケアになる。この場合、3、4Wの余命か?

看護婦さんの問いに「夫が居てくれて心強いです」と答え。

熱いタオルで体を拭いてあげる。

折りたたみ傘をいじっていると、奪ってきれいにたたんでくれた。涙がこぼれる。