行ってしまった君へ

最愛の妻が逝ってしましました。 逝ってしまうまでのびっくりする1年間の出来事、 それと妻の人間性、自分の趣味オーディオやペットの今などを綴ってみます

H30.12.21 抗がん剤の点滴

船本先生に注射器で胸水を600mlほど抜いてもらい少し楽になった。

髪を看護師さんにドライフォームで洗ってもらう。やはりお湯でないと気持ちが悪い。明日、また頼もう。

抗がん剤点滴後の連休中にも注射で抜いて欲しいと船本先生にお願いし、抗がん剤のスタートで紆余曲折があった。結局、中村先生が外来を飛ばして面談し、注射は特に休日は基本できないとし、抗がん剤のスタートをすることで薫も同意した。

抗がん剤等の点滴は16:20開始、23:30に点滴終了。なお、3種類の抗生剤の点滴を行っている。尿管による排尿に切り替えた。

病院の椅子3個を横に並べてこの日は泊まり込んだ。特に変わった状態にはならなかった。

 

H30.12.18~20 簡易トイレから尿器へ、マスクとリザーバーの使用

18日

本人の酸素濃度は正常になっているものの、心拍数が100を超えている。後から思うと心臓もだいぶ病んで力なくなっていたのか。この心拍数だと本当にきつそう。緩和ケアチームで痛みが和らぐのではと勧めると、分かったと言い、早速スタートしてもらった。ベッドをにじりあがるのもきつい。簡易トイレにも立てないので、おまるのような尿器を使用することに。ただ、うまく尿が出ないようだ。

家に帰ると薫と一番仲の良い猫のチロちゃんがお母さんが居ないと心配いっぱい。チロちゃんにテレパシーでお母さんがたいへんなんだと伝える。お前も元気でねとモンプチ缶をあげるといっぱい食べてくれた。この子は賢いのでテレパシーで言いたいことが伝わっている。

 

19日

前夜、尋常でない息苦しさで酸素濃度が上がったため、管で鼻から酸素補給する方式からマスクに切り替わる。

座薬で5日ぶりに大が出る。大をする時も苦しいし、小もなぜか苦痛みたい。中村先生との会話で「ここに来てからずっと耐え忍んでいる」

21日に抗がん剤の点滴をする方針になった。肺に対する治療を行うということで、自分としては期待がありよかったと思った。次の目標は正月を家で迎えること。

家に帰るとチロちゃんがおおきなうんこ。

 

20日

朝起きると死ぬほど息苦しい。鎮痛のための麻薬をモルヒネ系のオプソに替えたせい?薬の効果が切れた時、地獄の苦しみという。酸素濃度がさらに高く必要になり、マスクにはリザーバーの袋を付けるようになっていた。朝食は食べれず野菜ジュースのみ。昼は少し食べたようだが、夕食は果物のみ。

抗がん剤治療のため体重測定が必要だが苦痛としんどさでそれもできない。薫は中村先生と直接話したいと言い、先生と話す。薫は抗がん剤の効果と苦しさを気にしていたようだ。話し合いの結果、抗がん剤をしようという結論を出してくれた。

中村先生に薫の居ない所で突っ込んだことを聞く。抗がん剤が効く確率(ガンが縮小)は一般的に1/3。平均の余命延長は3ヶ月。ただし、数年以上効果のある場合もある。3剤を3〜4週間間隔で4サイクル点滴する。また、3ヶ月後に1剤で4サイクル点滴する。これを繰り返す。もし抗がん剤治療をしない場合は、ステロイドで緩和ケアになる。この場合、3、4Wの余命か?

看護婦さんの問いに「夫が居てくれて心強いです」と答え。

熱いタオルで体を拭いてあげる。

折りたたみ傘をいじっていると、奪ってきれいにたたんでくれた。涙がこぼれる。

 

 

H30.12.16~17 入院生活 簡易トイレを使用

16日

オキノームを錠剤に替えても痛みは和らがない。さらに痛みがひどくなっている。痛くて手を握ってと・・・。手を握ると安心と・・・。もう家にはかえれないかも・・・。

痛みはだんだん増し、体を動かすのもきつくなる。トイレに立つのも息切れて酸素濃度が低くなっている。簡易トイレを持ってきてもらって用を足すことに。

17日

朝、息が苦しい。こんな状態だったら死にたい。手を握る。

胸水を抜いて酸素濃度が上がり多少緩和した。しかし、本人は食べる、しゃべるだけでも心臓が苦しいと元気なし。

中村先生は本人のモチベーションが心配とのこと。薫の場合、結局、抗癌剤しか手立てがない。抗癌剤も厳しいが、3か月ほどは効くはず。ただ、本人のモチベーションが下がっていることが気になる。緩和チームも手助けになると思う。本人は一度断ったが・・・。

なお、CRP値が上がっている。がん、間質性肺炎感染症の3つの可能性がある。原因を特定はできないが、がん、間質性肺炎に悪影響のない抗生物質(点滴)で感染症の治療を行う。

父に手紙を発送。

H30.12.8~15 入院生活 車いすでトイレに

8日

ベッドで姿勢を変えるのもつらい。胸が重くなった。体を起こすのも難儀。個室の部屋のトイレに行くのに車いすを利用する。入院後、悪くなる一方なので気持ちがふさぐ。

ベッドが汗を吸わず気持ちが悪いのでTシャツの背中に綿のタオルを入れてやる。

まだ、ドトールの朝食が食べられる。夕食は冷凍のハンバーグを解凍して病院食にプラス。

9日

3人で晩ご飯。大阪王将の弁当とコンビニおでん。

今日は多少具合が良い。

10日

ドレインの管を抜く。局部麻酔をして、抜糸しドレイン管を抜き、さらに縫合。管が抜け少し楽。しかし、レントゲン結果では背中の新たな所に胸水が溜まっているようだ。

11日

良平君と優子さんが見舞いに。

食い込むような痛み。こんなこと言ったら心配すると思うけど、食い込むような痛みで身を起こすのも不安。

中村先生にこのことを言い、整形外科に診てもらった方が良いのではと聞くと、抗癌剤治療を行う方向とのこと。あと数日で行えるか?

12日

夜、2時半ころ、いつもの痛み止めのコカールに加え、麻薬系のオキノームを飲み痛みが多少緩和していた。本人は麻薬系の薬を飲むのに抵抗があるよう。

13日

食い込むような挿す痛みが継続。

14日

この頃まで曲がりなりにもドトールの朝食が食べれたか。

食い込むような挿す痛みが継続。

15日

良平君と優子さんが見舞いに。

食い込むような挿す痛みが継続。船本先生と相談し、一時的に効くオキノームの散剤型に替え、継続的に効くオキノームの錠剤型にすることにした。

H30.12.6~7 入院生活 癒着術

胸水を抜いた後、胸膜と肺をくっつける癒着術を行わなければならない。間質性肺炎を持っているので、化学的な薬が使えない。なので自分の血液をとり、注入し凝固させる癒着術を選択。普通に腕から血液が採れる状態でなく太ももから採る。突然言われて中村先生に毛を見られたといきどおる。

6日の最初の癒着術は血液が漏れて、いわゆる失敗か。

なぜか分からないが少し楽になり寝れた。

 

7日に再度、朝から癒着術。少し血液漏れがあったようだが一応無難に行えたのか。

胸の新しい所が痛い。刺すような痛み。痛みは入院してから良くなっていないと嘆く。

恵里、深夜に病室を訪問。

H30.12.2~5 入院生活

病院の朝食が遅く、夕食が早いと文句言い。

この頃の朝食はドトールで食べ物とコーヒーが常。

ドレインの絆創膏が強力で肌が痛むようでニベアの軟膏を仕入れて付けるのが気持ち良いと言う。

検査入院の時、中村先生に風邪を移されたようで鼻詰まりがきつい。

この頃だったか午前3時ころ電話で呼び出され鼻うがいの薬などを持っていく。こっちもパニック。

H30.12.1 入院生活 良平君が見舞いに

事が本当に急に進んでいて弟の良平君にもまったく知らせていなかった。昨日、ようやく良平君と優子さんに喫茶店で会って今年になってからの出来事を伝えることができた。

早速、今日は良平君が花と果物を持って見舞いに来てくれた。